2011年9月20日火曜日

Detox ーディトックス

先週、私のオフィスではディトックス週間だった。何じゃらほい?という具合ですが、単純に解毒するためのメニューを取り入れましょう!というもの。

ある人は、そのメニューのみ。他の人はメニューに基づいて作ったスープを基に普段通りの食生活を続けるというものだった。

私は、メニュー通りでがんばって4日間を過ごしたけれど、確かにお手洗いに行く頻度も高くなるし、体の中がすっきりする。それにいつもよりエネルギーがあって、たまっていた家の掃除も、進めることが出来た。ダイエットは嫌いだけど、血中コレステロールが高いのを時々思い出す私には、季節に一回取り入れる程度で続けてみたいかな、と思うほどだった。



メニュー通りがんばって1週間を過ごした友人は、荒れていた肌がきれいになった。

私がハッとしたのは、普段食べるものも、量も、アメリカサイズになっていたので、自分の体を大切にすること、食べるにも、飲むにも主のためであるか。自分の体を聖霊さまが住める宮と考えているか?と思うと、これまでの暴飲暴食に対して、神さますみません、という気持ちになったのです。

でも、これって、良いものを体の中に取り入れたら、体は確かにきれいになるかもしれないけど、心のディトックスには、みことばだよね。私の罪のためにイエスさまが十字架にかかってくださってこそ、私は神の義とされた。どれだけ、世界の名言を聞いても、イエスさまの十字架には及ばない。私が罪いっぱいで燃える火よりも赤かった状態から、雪より白くしてくださったのだから。自分の罪のために、地獄へ行く準備を進めていた私に、天国への切符を下さったのだから。そしてこれは自分が自己満足で言っているだけではなくて、神さまが私をそういうものだ、と宣言していてくださる。有り難いことだ。

イエスさまの十字架を見上げるとき、心はディトックスされて、すっきり。
平安が私を包むのでありました。今日も感謝だ♡

******今日の聖書のことば******

   そして、あなたがたは真理を知り、
   真理はあなたがたを自由にします。
              ヨハネの福音書 8:32



   わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。
                ヨハネの福音書 15:3


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2011年9月19日月曜日

レインボウ

こんばんわ!ブログ時差ぼけをしている私は、あえて今月初めの写真を載せでしまおう。

教会の駐車場からみた虹。二本あるのがおわかりいただけるかな?私が虹を見上げる時って、周りで起こっていることに押し流されそうになっていたり、心を留める始めようとしていたりすることが多くて、空にかかる虹を見て、神さまの約束を思い起こし、そして、「しっかりしろよ!わたしの約束を忘れるな!」と神さまから叱咤されているように思うんです。

これも神さまの愛だなぁ。

神さまって、私がもうダメだぁ、降参!と思いそうな時に、すっと手を差し伸べてくださって、励ましてくださる。人生の中でいっぱいあった。また後日詳しく紹介しよう。本当はもうダメだぁ、と思っているのは単なる自分の勘違いからで、神さまはすでにそこを通って強められる私を知っていて、そして計画の中へ導いてくださる方なんだよね。

箱舟のノアさんが、虹を見た時にどう思っただろう?あまりのきれいさに、びっくりしたかな?今日はパサディナは晴天で、空には虹などかかる気配はないけれど、月初めの虹を思い出して神さまの愛に浸る日だなぁ。感謝だなぁ♡

*****今日の聖書のことば******

あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。
神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に
会わせるようなことはなさいません。
むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、
脱出の道も備えてくださいます。 
             (コリントⅠ 10.13)


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2011年9月18日日曜日

誕生日って。

今日は誕生日。

私は30歳の誕生日をはっきり覚えてる。一人で行きつけの、Sunset Blvd.のおすしやさんのカウンターでうどんを食べたの覚えてる。なぜ一人だったのか覚えていないけど、自分がこれからどうするのか、日本に帰るのか、迷っていた。その頃、自分が神聖なものに触れたい!と願っていたのも鮮明に覚えている。

その年、私は教会に導かれた。誕生日から、12月までの間に、たくさんの苦しみと困難があって、まだ私は日本へ帰るべきがどうか迷っていた。仕事もなくして、アパート代が払えないかもしれない、という状況の中、私は神さまがもしいるなら、会いたい!って思っていた。かねてから自殺願望の強かった私は、自分がこのまま自殺してしまうかもしれない、ということも知っていた。

あんまり漠然とした願いだったけど、神さまがそれに応えてくださって、私は教会に導かれた。

あれから何年も経って、いま私はこうしてまだ生きている。生きていることを楽しみ、愉しみ、感謝している。私の中にいる神様に出会ったから。

****9月18日******

今日は誕生日。
朝は、尊敬するM姉妹がケーキを持って訪れてくださって、


他の姉妹とハンティントン・ライブラリーに行き、お昼にパンダでご馳走になり、教会へ。
さらに礼拝のあと、数人の姉妹がフローズン・ヨーグルト屋さんでお祝いしてくれました。

照れるなぁ。車を発進させようとした時には、速度パネルにメッセージがあった。Happy Junko's Birthday!と書いてあった。最初何か解らず、消してしまった。。。。(ーー)
少ししてから気づいた。あっ、夫からだったんだ!

30歳の時に、寂しかった誕生日は、何年もして、神の家族と祝うことになるとは夢にも思っていなかった。そして、こうして生きることをエンジョイするとも思っていなかった。毎日が楽しいなんて、あの頃の私にどうしたら想像できただろう?

私がここまで変われるなら、みんな変われる。私は確信を持って発言します。だ・か・ら、どんな困難も、苦しみに見えることも、八方ふさがりでも、あきらめないで欲しい。脱出の道は必ずある!

今日私が誕生日を通して学んだこと。神さまが祝福してくださっている、祝福してくださろうとしているのに、体裁が悪いとか、いい格好しいで、祝福を単純に喜んで感謝して受け取ることをしていないんじゃないか、ということ。反省だなぁ。これも単に私の高ぶりだなぁ。

礼拝で学んだこと。忠実になる。自分で自分を遣わさない。神さまに遣わされる。

****今日の聖書のことば****

あなたがたがわたしを選んだのではありません。
わたしがあなた方を選び、任命したのです。
(ヨハネの福音書 15:16)

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クリスチャンになった、教会を訪れたのが、どんな方法であったとしても、偶然ではなく、「わたし」とご自身を呼ばれたイエスさまが選ばれたんだ、ということですね。(^^)
今日も神さまに感謝しつつ。

誕生日を照れくさいと思っていた私は、今日という日が、神さまが自分を地上に送ってくださった日、記念日だということを改めて確認し、感謝しております。

2011年4月15日金曜日

選ばれた者

カリフォルニアは暑い日が続いています。今週末は夏日です。あ〜、きっとかき氷が食べたくなる〜。我が教会のかき氷は、ぴか一ですよ!これは。。。霊の糧(食事)をしっかりいただいた後だから、また神の家族と一緒に食べるかき氷なので、美味しさが一段とあじわえるのですよ。^^v

さて、昨日震災のことを書き始めて、説明も充分にせず、ただ書きっ放しで失礼しました。ママブログ、ということでお赦しくだされ。

震災から、私の周りで起こっていることですが、
神さまに関心がなかったかのような上司が、神さまの感情について話しをするようになったこと。これについては、彼は神さまについて関心がないことをこれまで装っていたのではないか、と思うようになりました。これまでも、私が教会のキャンプで有給を取りたい、というとき、私が無断かつ計画欠勤をしないように、夏の一定の期間は部署の中でも優先的にお休みを取らせてくれたりしていました。

我が上司でもこのような具合なので、きっと本当に多くの方が、いま「神」に興味を持っておられるのではないでしょうか!?

上司の、石原知事に次ぐ、「神の怒り」表現でしたが、この言葉の中で注意したいのは、なくなった方々が罪を犯した、と言えない、ということ。仮にそうだとしたら、赤ちゃんが亡くなるのは理にかなわないです。また、もし、私たちが肉体の死がすべてにおける最終地点だと考えていたら、やはり人の死は悲しいものでしかありません。しかし、そうではありません。肉体の死の後にも、生きる、とすれば、この死は一定の期間会えないということにおける悲しみです。

残された者がいのちを託された者だとしたら、亡くなった方々は。。。天国で神の御用のために「いま」必要だった方々なのではないでしょうか。どちらも選ばれた者。

神さまは愛なる方であると同時に義なる方。

神さまの怒りは、イエスさまが十字架に係られた時に発せられた「完了した」という言葉とともに、納められているもの。しかし、私たち人類がそれでも罪の結果として訪れる死や病気、貧困、等に慣れてしまって、神さまが望んでおられた人間のあるべき姿を受け入れられないでいるから、神さまが怖い方、裁きの神、というイメージをとらえてしまっているのではないでしょうか。

囚われの身。

私たちは困難、苦しみを体験するとき、それをバネとして、成長する機会が与えられている。

今回お気づきになっていらっしゃる方も多いと思いますが、幾つかの全国版の新聞でも、被災地におけるクリスチャンの活動、祈り、についても何度も、何度も取り上げられています。そして、避難所を訪れる牧師先生たちが、避難されているクリスチャンの方々と聖書朗読、祈り、交わりをしているのを見ていた周りの方々が、救いに導かれている、ということも伝わっています。

どんな時にも、私たちには選択が与えられています。人生のつらい時にはフランクルの「夜と霧」を読む、と記しておられた女性の手記を目にしました。フランクルは、アウシュビッツを生き抜いた、ユダヤ人の心理学者です。彼は、強制収容所の中においても、どんな状況下でも、人が神に信頼することによって与えられる希望を目にとめている時、生きることが出来る、と解いています。同じ状況下にあっても、私たちは二つの選択が出来るのです。「良き神さま」を信じるか、信じないか。

聖書にはこう書いてあります。

なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。(ヘブル人への手紙12:10)

あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。 (コリント人への手紙第Ⅰ  10.13)


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

あなたがいまのご自身がつらいと思っておられる状況から脱出したら、どうされますか?きっと神さまが同じような状況にいる人々をあなたの周りに集められます。そうしたら!あなたがはご自分の経験を持って、その方の痛みをともにし、神さまの愛を分かち合い、励ますことができる!いのちを分かち合うことが出来ますよね。

残されたあなたはやっぱり、いのちを託されたもの。生きよう!悲しくなったら、泣いてもいい。無理にがんばる必要なんてない。あなたの涙の重さは神さまが一番ご存知です。だから、神さまに近づいてみませんか?

しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。 (イザヤ書 40.29~31)

今日も訪れてくださってありがとうございます。
私は、明日の礼拝に備えて、お休みなさい、です。^^みなさまにとってよい週末となりますように。そして、日本中の、世界中の教会で、礼拝で、主の御名のみがほめたたえられますように。


2011年4月14日木曜日

この震災がもたらしたもの。〜私の周り〜

こんばんわ〜。この一週間は南カリフォルニアでは、どうなっているの?の天気で、35℃を超える日が続いたと思ったら、晴れているのに木枯らしみたいな風が吹き、ほっぺが寒〜い、という日々が数日。再び、小春日和かと思いきや、また寒い日が続く。。。なんて、みなさまお体の体調を崩さないように、くれぐれもご自愛ください。いや、病気の霊に「あっち行け!」「近寄るな!」と命じてください。といっても、これはイエスさまの御名による信仰がないと働きませんので、信仰のある方のみに限定させていただきます。

長い挨拶はさておき。。。もう一ヶ月過ぎましたね。震災から。。。

あの震災の数日前に起こった7.2Mの地震の際に、被害が少なかったことから、「日本は地震対策が出来ているからね!」等と、同僚に話していたのはもはやすっかり過去のこととなりました。

津波で町が無くなっている!というニュースに、まさかのこの時代の近代社会、日本で?という思いが真っ先に来ましたが、考えてみると聖書の中には町が無くなる話しが幾つも書かれているんですよね。しかし、その頃には映像を瞬時に世界で分かち合う媒体もなかったので、その恐怖は世界の全人類に伝わるということはなかっただけなのです。

今でも、被災されて避難していらっしゃるお子さんを始めとして「海が怖い」、「水が怖い」、と恐怖に怯えている方々もいらっしゃるでしょうね。この恐れを、時間がかかっても、克服し、その先に希望を見つけられることを、心からお祈りしています。



一ヶ月、という歳月がこんなに長いものだったとは、私も知りませんでした。

この歳月の間に、私の周りで起こったこと。。。

1。これまでに神を神とも思わないような上司が、「これは神さまが怒っているからに違いない!」と言い始めました。「天罰か?」とも。

ちょっと待ってください。私たちは「良き神さま」を信頼し、知っています。その神さまがこのようなことをなさるのか?

2。アメリカで起きた911の時と同じように、一期一会を改めて思い起こしている方々が増えました。=人の齢は、自分ではどうすることも出来ないということをより深く知りました。だから、愛していることを、その人を想っていることを、より真っ直ぐに、表現しています。

3。遠くにいても出来ることがあることを思い知らされています。自分に出来ること、また今日という日に出来ること、すべきことが与えられているということでしょうか。

4。神さまの思いは私たちの思いよりはるかに高い、ということ。こちらも聖書に書いてあることなのですが、人間が如何に自分の観点で物事を理解しようとも、理解できないことがある。また、神さまの計画に「何故?」と尋ねることが愚問であることも知りました。


*************

被災されて、車に乗っていたその方は建物の屋根に押しやられて、いのちが助かった方がコメントしていらっしゃいました。「上からの何かが、人を選んでいる、としか思えない」

私は、クリスチャンとしてこのコメントを興味深く読みました。この方がイエスさまを知っておられるか、神さまを知っておられるかは、記事から読み取ることは出来ませんでしたが、イエスさまの「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、任命したのです」(ヨハネの福音書15:16)、というお言葉を思わされました。

きっとご家族を亡くされた多くの方も、同じように「どうして私だけ?」と思っていらっしゃるに違いありません。

どうして?何故? と云う問いが神さまの前に愚問であるとしても、残された者、あるいは被災しなかった方々は、では、あなたは何を任命されたのか?と云う点で考えておられるでしょうか?

この震災で、私自身が大きく示されていること。。。。

一日を授けられた、ということは、そのいのちを神さまから任された(任命)された者なのだ、ということです。いのちは、あなただけが生きるのに十分かもしれませんが、それを他の人と分かち合うことによって、いのちが他の人にもシェアされるのですよね。

生きることだけがいのちではなく、この場合は生きるための希望でしょうか。いま聖書を通して、礼拝のメッセージを通して語られている私にとっては、イエスさまの復活の力、です。

この復活の力は、イエスさまの十字架の死を省いては語ることが出来ないものです。

このいのちとは、復活の力とは、病人がいやされ、失望していた人が希望を見いだし、苦しみの中にあった人が苦しみから解き放たれ、そして喜ぶ、ということ。

いのちを任された者たち!日本全国が、世界中が、イエスさまのいのちが溢れ、流れる国々へと変えられていきますように。

*******今日の聖書の言葉********

 私たちは何一つこの世に持ってこなかったし、
 また、何一つ持って出ることも出来ません。
               第1テモテ 6:7

 神が造られた者はすべて良い者で、
 感謝をして受け取るとき、
 捨てるべきものは何一つありません。
               第1テモテ 4:4

***********************

まだ書きたいことがありますが、夜遅くなってきましたので、支離滅裂になる前に、お休みなさいです。今日も訪れてくださって、ありがとうございます。

何か素晴らしいことが、あなたとあなたの周りのすべての方にありますように!

2011年4月10日日曜日

礼拝ノートから。4月9日

ですから、神に従いなさい。(ヤコブの手紙4章7節)


神さまに従う、って漠然としているようだけど、とっても具体的なことなんだ、って改めて心に語られています。今日は、「罪」というものが肉体を持っておかす罪だけではなく、霊的な罪があることを知りました。その一つが、不信仰。


神さまを信じているといいながら、みことばを信じないこと、疑うこと、これが不信仰。とすれば、私は100%心開いて神さまの言葉を受け止めているかな、と自己吟味が必要だ、って示されました。


そして数週間前から学んでいる、エジプトから神さまに導かれて奴隷の状態を脱出してきたイスラエルの民は、様々な奇蹟を体験し、約束の地を目の前にして、自分たちがイナゴのようだった、あの土地には入れない、と言ったけれど、その中でジョシュアとカレブだけが、神さまの約束に立って発言した。にもかかわらず、その他の民は、彼らふたりをかばうこともなかった、というのは何だかとても考えさせられる。これが人間なのだろうか?と思わされてます。


神さまの奇蹟を体験しつつ、それらを忘れてしまう。感謝を忘れてしまう。という所に大きな落とし穴があると、思えてならないのです。


いつも喜んでいるのは、感謝の気持ちを忘れないから出来ることであって、感謝のない所には何らかの不平不満が生じやすくなるのは事実ですよね。


では、私たちは。。。。沢山与えられている神さまの約束がある。しかも、印刷物となって、私たちの手元にある!だから、不信仰になっている余地はない!


すみませんね、自分にいい聞かせの書き込みになりました^^


*******今日の聖書の言葉************




「私たちはぜひとも、上って行って、
 そこを占領しよう!必ずそれが出来るから!」
               (民数記13:30)


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もう一つ、
「この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。」(ヨシュア記1:8)から、「口から離さず」に関して、「何度も口ずさむ」、というのは5〜6回だけのことではなく、数百回のことでもなく、千回とか口ずさんでみることです!とパスターの口を通して神さまから語られた時、千回!?と思ったけれど、人間としてはそれだけの回数口にしてみることって、大切。千回を目指して口ずさむ時に、心の中で、与えられたみことばが土台を形成して、それが自分の基礎石になる。


がんばろう!日本の、世界のクリスチャン!「必ずそれが出来るから!」


^^v 今日も訪れてくださってありがとう。あなたにとっても、周りのすべての方にとっても、祝福の一日でありますように。



2011年3月31日木曜日

もし神さまがいるなら。。。。

初夏のような陽気のロスから、こんばんわ、です。今週は四半期末、日本では決算年度末、ということで、仕事場は同僚が泣いてしまうほど忙しかったです。それでも、告白の力、「出来る!」「大丈夫だよ!」という言葉によって、乗り切りましたよ。^^みことばの知恵、力、万歳(ハレルヤ)!

さて、題目に話しを戻して。。。



震災の後から、きっと、ずーっと、もし神さまがいるなら。。。もし本当に、神さまがいるなら、って思っている方が多くいらっしゃるのではないでしょうか。

もし、神さまがいるなら。。。

人は超幸せな時には、あまりそのようには思わず、苦しい時、試練に会っている時には、そう考えませんか?

もし、神さまが本当にいるなら。。。

何故そのように思うのだろう?その多くの時は、自分が直面している問題が、自分の手には負えないとき。そして、二進(にっち)も三進(さっち)もいかないとき。

もし、神さまが本当にいるなら。。。

って本当に思いますか?

私たち、人間は、生命の誕生の不思議を見て、四季の花々の美しさに感動し、広大なる風景や自然の巧妙さに心打たれ、神さまがいらっしゃることを知っているはず。しかし、心のどこかで、ただ神さまの存在を認めておられないだけではないでしょうか?

もし、神さまがいるなら。。。

私は、弱いからクリスチャンになりました。生きることすらも、苦痛だった時に、神さまがみことば(聖書のことば)を通して、目に見えるものだけがあなたに必要なものではないよ、と教えてくださったからです。

今のあなたにとっては、親しかったお友達、家族のメンバー、ご自分のパートナー、あるいはかわいい子どもさんやお孫さんかも知れません。全ての財産かもしれない。。。。平穏無事な生活でしょうか。

残念ながら、あなたの苦しみをどれだけ私が理解しようとしても、限度があります。私にはきっとあなたの話しを聞くこととてを握ることぐらいしか出来ません。しかし、あなたの気持ちの細部にわたって、あなたのことを心にとめ、思っておられる方がいらっしゃいます。その方が神さまです。

神さまが遠くにいると思われる時も、ずっとあなたのそばに寄り添っておられます。どんなに苦しい試練にあっていても、あなたと共におられます。

イエス・キリストは、全ての人の罪を負って、十字架に係り、3日後に復活されました。キリストを信じる者に与えられるのは復活の力、罪の赦し、神の子とされる権利。そして、キリストを信じる時に、私たちは神の義とされる、と聖書に書いてあります。

クリスチャンとは、キリストを信じる者のこと。誰でも、初めからキリストを知っていた人はありません。しかし、キリストを信じることが第一歩となって、神さまがさらに多くのこととご自身を示し申してくださるのです。

今、あなたが不安に思っていることも、キリストが負ってくださるのです。キリストに、心のドアを開いてみませんか。

イエス・キリストのところへ来る、というのは宗教ではありません。あなたが何かをどれだけしたら、入信出来るというものではないのです。ただ。。。あなたご自身が、イエス・キリストをあなたの主として信じる(受け入れる)ことを決心されるかどうか、ということだけなのです。


******今日の聖書の言葉*****

 人はパンだけで生きるのではなく、
 神の口から出る一つ一つの言葉による。
         (マタイの福音書 4:4)

 空の鳥を見なさい。
 種蒔きもせず、刈り入れもせず、
 倉に納めることもしません。
 けれども、あなたがたの天の父がこれを
 養っていてくださるのです。
 あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
        (マタイの福音書 6:26)

   あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。
 神があなたがたのことを心配してくださるからです。
         (ペテロの手紙第1 5:7)


 イエスは。。。(中省略)民の中のあらゆる病気、
 あらゆるわずらいを直された。
      (マタイの福音書 4:23)

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お近くにクリスチャンの教会がない方、あるいは私が通う教会に興味のある方はメールにてご連絡下さい。


今日も訪れてくださって、ありがとうございます。


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2011年3月26日土曜日

3月26日礼拝ノートから

土曜日の今日は、我が教会の礼拝日。行ってきました。

はぁ。ため息が出るほど、みことばは本当に奥が深い。これは私が単にメッセージの中身を全部理解できなかったから、というだけのものではなく、同じ(既に何度も読んでいる)みことばからも、さらに奥深く、dig(掘り下げる)ことが出来るのか!と毎回、感嘆のため息が出るのです。

本日、私の心に植えられたのは、やはり告白の大切さ、でしょうか。

せっかく、同じ言葉を口から出すなら、その言葉が信仰によって、そして霊の世界でのゴール設定をし、さらには現実の目で見える世界でも、告白したことが現実化された方が良いではありませんか!?

だから、告白します。
私はキリストにあっていのちにある支配をしています!

日本は新興します!(復興という言葉は元に戻すことなので、新たに立てられる、という意味で)日本は信仰します!原発の問題も、解決します!いま恐れている人、悲しんでいる人、苦しんでいる人、が神さまにある赦しを得て、本当の安らぎを手にすることが出来ます!

被災された方々、援助に当たる方々を覚えつつ。また原発や援助の指揮をされていらっしゃる方々の上に、知恵が与えられますように。

******今日の聖書のことば*******

 人はその口の結ぶ実によって腹を満たし、
 そのくちびるによる収穫に満たされる。
            (箴言 18:20)

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ペースゆっくりでも、声を出して、聖書を読み始めよう。とも、メッセージを通して心に提案されている日です。



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2011年3月24日木曜日

ドアを開ける時

日曜日は大雨が降って、二日間の曇り空のあと、また今日も雨でした。



3月も半ばを超えてからの雨は、珍しいけれど、なんだかこれも日本で起こっていることを思って流されている涙のようで、ちょっとセンチメンタルになっています。

今回の津波というのは、避難所にいらっしゃることが出来た方々も、多くの方が他の方が波に飲み込まれるのを目撃されているのではないでしょうか。一瞬の出来事とはいえ、自分ばかりが助かって、等の罪責感が残りませんように、と祈り始めました。

この震災でご親戚の方の安否が気遣われた知人にお名前を預かり、ネットを通して、様々な避難所の名簿をあさるようにして連日探し、5日目に無事に避難されていらっしゃるというニュースを得てホッとするまで、表現しがたい不安が心をつかみそうでした。「大丈夫」と言い聞かせても、何をもって大丈夫なんだろう?と悲しくなることもありました。

ご親戚の方のほとんどは避難されていたのですが、お一人の方は、津波が来るので逃げるように促されても、寝たきりのお母様のそばを離れない、と心を決められ、その場に残られたそうです。まだどちらにいらっしゃるのか分らないままです。どこかに避難しておられることを祈っています。

同じ町で、釣りに出ていて、釣れないので自宅に向かって帰宅途中に、バイクで転倒して救急車で運ばれたので、津波を間逃れた方があるそうです。

赤ちゃんからお年寄りまで、沢山の方が亡くなり、まだ行方不明となっている今回の震災。また愛する方の安否が分らないままでいる方々も沢山いらっしゃいます。お気持ちを察するだけで、心が痛みます。

いのち、って何でしょうね。

いま、多くの方がおそらくなぜ自分は生き残ったのか、あるいは生かされているのか、という疑問をお持ちになっているのではないでしょうか?

人には、人生の中で何度か、神さまがとても近くまで接近される時があります。多くの方にとって、それは「いま」ではないでしょうか。

そう思われたら、お近くの教会へお出向きください。躊躇されることはありません、だれでも、歩くのに「初めて」の時があり、話しだすのに「初めて」の時があり、教会へ行くのにも、「初めて」の時があります。あなたにいま必要なのは、教会へ行く勇気かも知れません。

ここ数週間、教会のメッセージ(説教)を通して、心に示されたこと、植え付けられたことを書き込んできましたが、一つはっきりと書いていなかったことがあります。それは、いのちにある支配も、告白したことが成就するのも、イエス・キリスト、という方につながっていなければ、その権威、権利が与えられていない、ということです。

人は、神のかたちに造られましたが、全ての人が罪を犯し、神さまとの交流が出来なくなりました。しかし、神のひとり子でいらっしゃる、ご自身では罪を犯されなかったイエス・キリストがあなたのために、あなたの罪を背負って、十字架にかかってくださいました。そして地獄に下り、3日後に復活されました。イエス・キリストを信じる者は、全ての罪が赦され、神の子とされ、神の義とされます。

頭で考え始めると分らないことがあるかもしれません。でも、心でそれを受け止める時、神さまの霊が働き始めます。

教会は、神さまの霊の満ち満ちたところ。是非、お近くの教会へ。神さまの愛と、神さまの霊が、あなたの心に触れてくださいますように。祈りつつ。

******今日の聖書のことば********

  見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。 
  誰でも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、
  わたしは彼のところに入って、彼とともに食事をし、
  彼もわたしとともに食事をする。
            (ヨハネの黙示録 3:20)
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身の回りにて

昨日の朝。。。

6歳の息子に、「ママの夢は?」と聞かれました。

「何?夢??」とびっくりしながら答えてしまいました。

息子はまじめに
「そうだよ。夢。例えば。。。ママが50歳になった時や
60歳になった時、ママは何していたいの?」と
聞いてきました。

おぉ、大切だよね、ビジョンを持つ、ということ。

これは信仰のゴールにもなることではないか!
朝から、息子から学ばされた日でした。


幻のない民は滅びる。

聖書のことばですね。




会社での出来事。。。。

誰のお腹が一番強いか???

エホバを信仰している同僚が、自分のランチを食べるのを
躊躇していました。理由:これを食べるとお腹いたくならないかな?

え〜っ?あなたの聖書も同じこと書いてあるんだよね?
私の聖書と同じ。。。だよね?
マルコの福音書、入っている?

マーク(マルコの英語発音)、あるよ。

マルコの最後に書いてあるでしょ?
たとい毒をのんでも決して害を受けず。。。

は?という顔をしながらも、彼女は自分の聖書を開き、
自分で読んでいた。

ランチのあと、「お腹いたくならなかったよ!」と
報告がありました。

みことば、万歳!ハレルヤ!


*******今日の聖書のことば********

  信じる人々には次のようなしるしが伴います。
  すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、
  新しいことばを語り、
  蛇をもつかみ、
  たとい毒を飲んでも決して害を受けず、
  また、病人に手を置けば病人はいやされます。
              (マルコの福音書 16:17〜18)

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2011年3月21日月曜日

この喪失感

東日本大震災の起こった日、3月11日(米国時間では10日)から、もはや世界は地球単位で悲しんでいます。多数の映像で私たちは心を痛め、悲しみを共にし、心合わせて祈っています。

今の時代は、映像が私たちの身近にある故に、喜ばしいことも悲しいことも、ことが起こってから一瞬にして世界の裏側にいても、知ることが出来ます。

逆にそのために、今回の大震災のあと、被災地とはゆかりのない人々も、喪失感に襲われています。

先週、クリスチャンである友人を含めて数人の方から「生きるのって、大変よね」と発言されるのを聞きました。

生きるの、って大変ですか?

私もかつては生きるのって大変だと思っていました。でも今はね、私の中におられるイエスさまが、私を生かしていてくださる!という事実に目を留めることにしています。そうすれば、生きることは簡単です。ある意味自分の責任ではなくなるのです。全てのことは主の御手の中に。頭で理解できなくても。聖書が言っているからです。

人間は弱いものです。私も鬱と自死願望を往復する生活を送っていました。でも、そんな私がキリストにあって、励まされ、強められ、生きることを喜びとしている!

大震災の映像やニュースが頭から離れません。祈るべきことだからでしょう。でも、そこから、喪失感が襲ってきそうになる時(今の私でも、まだこういう状態です!)、あえて追い払うようにしています。

それは、スズメがあなたの頭の上を飛んでいるとします。あなたの頭に巣を作ろうとしているスズメがいるとして。。。あなたはスズメを追い払いますか?それともスズメちゃんにどうぞ、と頭を譲りますか?

不安、恐れ、この喪失感は、まさに頭の上を飛ぶスズメのようです。それをあなたが追い払うなら、スズメは巣を作ることがないでしょうし、もしそのままにするなら、スズメは喜んで巣を作るのではないでしょうか。

先週からの牧師先生からの宿題で「私はキリストにあるいのちにあって支配する者です!」と朝、夕告白しています。私の場合鏡に向かって告白しています。パワフルですよ。みことばの真理によって励まされています。誰がそのことばを発するのか?私自身ですね。

喪失感、不安、恐れがあってもいい。追い払ってみよう。もし自分で出来なければ、信仰のともに助けを求めてみたらいい。でも、自分でしなければいけないこともあるよ。自分が信じているみことばに立って、神のことばを発してみよう。

私たち一人一人は弱いものかもしれないけれど、神さまが弱いところに働いてくださって、強くしてくださっている。そして、頭で理解できなくても、励ましのみことばを朝夕と発してみたらいい。私自身、宿題をこなしているこの約10日間でずいぶん強くなったと思う。喪失感が頭の周りをチラチラしても、追い出せる。

がんばれ、ってことばは負担になるかな。でも、祈っています。この時にあって、キリストにある家族が、愛を持って支え合い、行動できることを。

*******今日の聖書のことば**********

   主はみことばを送って彼らをいやし、
   その滅びの穴から彼らを助け出された。
              (詩篇107:20)




  「闇の中を歩む民は大いなる光を見、
   死の陰の地に住む者の上に光が輝いた。」
              (イザヤ書9:8)


****************************

今日も訪れてくださってありがとうございます。どうぞ、あなたや、あなたのご家族、あなたの周りの全ての人の上に神の光が輝きますように。また神にある平安がともにありますように。


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密かに思っている地震のこと

これは。。。あんまり人を嚇かしたくないし、恐怖に陥れることもしたくないし、これ以上のストレスも与えたくないから、やっぱり密かに心に留めておこう、とも思ったのだけど、書き込みます。

まず前もってお伝えしておきたいことは、私自身も今回の東日本大震災に関して、被災されたみなさん、愛する方を亡くされた方々と、ともに悲しみ、涙しております。心からお見舞い申し上げます。

しかし、残された方々に対して伝えておきたいことがあります。

理由:スーパームーンを見て、我がご近所さんや主人の勤務先の人の多くが「大きな地震がくる!」と怯えていたそうです。アメリカのニュースになっているんですって。

おそらく今回の東日本大震災の映像があまりにも生々しく、テレビやニュースを通しても、悲しみと祈りをともにしてきたからだと思います。それは日本国民としても、気持ちはありがたく感謝して受け取ります。

しかし。。。
あの地震を1000年に一度の。。。と表現をしているニュースを見て、驚きました。
あなたは1000年の歴史を知っているのか?という疑問を投げかけたい!

地球は今から約44億年も前には形成され、40億年前には地球のほぼ全体が海で覆われていた。

(理科、地層系はあまり得意ではないので、数字に誤りがある場合はすみません)

グランドキャニオンは7000万年前にカイバブ・アップリフトという地殻変動により隆起したとされるけれど、あの渓谷は2度以上海底になっていたことが分かっているのです。この渓谷では、先カンブリア時代(46億〜5億4200万年前)以降からペルム紀(2億9000万年〜2億5100万年前)の地層を見ることが出来ることで知られています。ということは、大きな地殻変動は地球に生きている限り、いつ、とかの予測がある程度立つ、立たない、にしても繰り返す、ということです。

環太平洋でこれだけ活発な地震が起こり始めている限り、アメリカ西海岸も地震対象地域であることはまず間違いなし!ただ、それがいつ、というのは私たちが精密に計算したところで予測が立たないものだと思いますよ。

ですから、作られたものである私たちは、今日という日が与えられたことを感謝して生きようではありませんか。願わくば、あなたがキリストを知っていて、どんなときでも、何があなたの周りで起ころうとも、神さまの思いは私たちの思いよりはるかに高く、神さまは全てのことを益としてくださる神であることに確信を持っていてほしいです。

備えがあるのは良いことですし、ご家族で緊急時の避難所、連絡網等を再確認されておくのは良いことだと思います。悲しみのどん底にある方は、泣いたらいい、神さまに訴えたらいい。神さまだってきっと心を痛めておられる。けれど、不必要な不安や心配に心を奪われたり、そればかりに目を止めないことをお勧めします。その先にある、神さまのご計画や、神にある希望の光があなたの心を照らしますように。そして神さまにはそれがお出来になる、と多くの方が信じることが出来ますように。

旧約聖書が書かれた頃に、どれだけ地球の歴史が分かっていたのか私は知りませんが、今回先カンブリア時代について調べてみると、聖書に書いてある通り、地球が水で覆われていたことが分かりました。知れば知るほど不思議な読み物、聖書です。そんな聖書の中に、いろいろな表現で、あなたについても語られているんですよ。探してみませんか、聖書に書かれているあなたを?

*******今日の聖書のことば********

 あなたがたは心を騒がしてはなりません。
 神を信じ、またわたしを信じなさい。
            (ヨハネの福音書14:1)


**************************

2011年3月19日土曜日

3月19日礼拝ノートから

私が通っている教会では、建物の駐車場の都合により土曜日に礼拝しています。今日、ロスでは3月19日土曜日、礼拝の日でした。

いま、いのちにある支配、についての真理を学んでいます。実にみことばは奥が深いなぁ、と改めて思わされる連続ですが、今日の礼拝の中から自分が習得したい(すべき)牧師先生のことばを書き留めておきます。

まず、みことば(聖書のことば)は、頭の中で知っているだけでは壁にぶつかる、ということ。これについては実に長い年月に渡り、私自身が体験してきたこと。学校の勉強のように習得しようとしても、出来ない。これはたましいだけで聞くのではないということ。心を込めて、受け止める。聖書に書かれていることは、単に「良いお話し」、もしくは「過去の話し」というのではなく、気休めでもなく、現実として受け止める。もし、聖書が理解しにくい、と思っていらっしゃる方があれば、これは大きな鍵になるのではないでしょうか?

支配権が与えられている、神のかたちに造られた私たち人間ですが、大切なのは口の告白。
箴言18:20、私にはとっても耳の痛い箇所なのですが、これほどに心刺されては、実行に移すのみ!と「今日から宣言」をさせていただきます。

それは。。。口から発せられることばによって、霊の世界での現実をセットしてしまう、ということ。悪い例と良い例を幾つか聖書の中から見ていきました。自分の心配や否定的な信仰を口にしてしまったり、心をコロコロ変えるなどは、自分に対して悪い実をもたらすことになるのです。逆に、固い信仰に立って、良い信仰のことばを発し続ける、ということがどんなに大切か、ということも、説教を通して学びました。

今日もまた目から鱗。知っているつもりは、本当に「つもり」であり、毎礼拝ごとに、心が一枚はがれるかの如く。。。。真理は私を自由にしています。神さま、感謝します!

今日の礼拝から習得したいことをまとめて私の生活、いまの現状に適用をしようとしますと、今の日本を見て不安や恐怖に惑わされることなく、真理を知っている者が「日本は必ず復興します!東北は必ず、復興します!日本は今がリバイバルのときだ!」と信仰に立って告白し続けるなら、それは霊の世界でのゴールをセットし、現実の世界でもすぐに起こること間違いなし。言い過ぎか?いや、それが真理ですから。

******今日の聖書のことば*******

 人はその口の結ぶ実によって腹を満たし、
 そのくちびるによる収穫に満たされる。
            (箴言 18:20)

 わたしの口から出る私のことばも、
 むなしく、わたしのところに帰っては来ない。
 必ず、わたしの望むことを成し遂げ、
 わたしの言い送ったことを成功させる。
            (イザヤ書 55:11)

**********************

がんばれ、日本!今日、我が教会ではベイクド・セールでした。





こちらは年の初めから予定されていたものですが、今回から売上金はすべて、東日本大震災の義援金として送金されることになりました。私に出来ることは小さいかもしれない。でも、日本には良い格言がありますよね、塵も積もれば山となる。そして、私たちクリスチャンには、ふたりでも三人でも、わたしの何よって集まる所には、わたしもその中にいるからです。というイエスさまのことばが与えられている。素晴らしい、約束!感謝します!

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


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2011年3月17日木曜日

天国への確信

アメリカでニュースを聞いていると、日本全国が揺れているように聞こえます。これは、メディアが事実をある程度大袈裟に伝えているとしても、関東以東では、やはり実に身に迫る恐怖であるに違いない、と察します。

そして、このように緊迫した状況下であっても秩序を守る国民がいる祖国日本をとても誇りに思います。

これらの出来事に関して、尋ねられるのは。。。

「世の終わりなのか?」

私がクリスチャンだという理由からこの質問をされても本当に答えられません。ただ、私が分かることは、このようなことが起きても神さまは日本を、人類を愛しておられるということ。もう一つは私たちは被造物である、ということ。

そして。。。日本に、また世界に、大きなチャンスが与えられているということ。

あるニュースで、ご自身は避難して津波から助かった男性が自宅に戻ると庭でお母さんが亡くなっているのを発見したのですが、その顔が笑っているようだったので、悲しみの中にあっても少し安堵した、というコメントをしていました。

それを聞いた神にある姉妹が「ラプチャーなのだろうか?」と疑問を投げかけました。

これはあくまでも私のひとりの人間としての観点ですが、
生きている者にとって、肉体の死は避けられないもの。そしてクリスチャンである私にとっては、肉体の死は、いのちの一点の通過地点であります。
そして、この世の中が、いのちをクローンという形をとって神の意志以外で作り出そうと歩みだした時点で、もはや人間は終末に向かって歩みだしているのではないでしょうか、と思わずにはいられないのです。

イエスさまの再臨?このことについては、既に新約聖書が書かれている時代から、イエスさまの再臨を待ち望み、もうすぐだ、と言われていました。自分が信じるところはありますが、私が一信徒としてこのことについてお話しするべきではないと思いますので、これについての言及は避けます。


しかし。。。。


いまクリスチャンとして生きる私にとっては恥ずかしい話しなのですが、自分に自殺願望があった頃、私はノストラダムスを信じ、世紀末論を読みあさり、「死」を待ち望む者のように生活していました。

そのような者が、イエス・キリストに出会い、いままでの罪、現在の罪、これから起こすかもしれない罪までもイエスさまが背負ってくださり、私は復活の力によって命を得、雪よりも白い者とされました。そして、いまは命にあって支配する者として生かされています。罪人のかしらとして生活していた私が、です。

いま通っている教会に初めて訪れた時、人間には「肉体」と「たましい(心)」と「霊」がある、というお話を聞きました。そして、神さまは人間を「神のかたちに」造られた、と。神さまにある権威を人間にお預けになったのです。

「霊」!!ということばを聞いて、私のうちにある霊が喜びました。そして私は帰るべきところに帰ってきた!ここが私の家だ!とはっきりと知ることが出来ました。それは頭で考えるだけのことではなくて、霊で悟った、というべきことでした。

人間には、良心が与えられている、と聞いた時、私は本当にハッとしました。それまでの人生の中で自分が如何に良心を欺いて生きてきたのか!って。そして、それまでの人生でずーっと探してきたパズルの一片が音を立てて「私」という人間を完成させたのです。

人は。。。。
嘘をついてはいけないことを知っています。
人を殺してはいけないことを知っています。
盗んではいけないことを知っています。
結婚をしている者が夫以外の男性、あるいは妻以外の女性を愛すること、もしくは肉体関係を持つこと等はいけないことと知っています。
そして、人には神さまにしか埋めることが出来ない穴が心にあいているのです。
だから物質で満たそうとしても、人間関係だけで満たそうとしても人は満足しない。それだから虚しさが残る。

それなのに。。。私は本当にいろんなことを自分の良心に欺いて生活してきました。その理由は、「だって、みんなもやっているよ」。言い訳でしかありませんよね。しかし、このような者でさえも、イエスさまの十字架での死によって、その流された血によって、神の義とされたのです。

もし、あの日、教会に来なかったら、きっと私は自死を選んでいました。その時の私は人間関係も、経済的にも、精神的にもどん底でした。教会に行くことで私は自分の人生の中に一筋の光を見ました。

そして、私がイエスさまを私の救い主として迎え入れる(信じる)決心をして、心の扉を開けた時、イエスさまは私のうちに住まわれるようになったのです。そして、私が得たものは「天国行きの切符」です。

いま世の中が不安に思っているように、ラプチャーが起こり、終末が来たとして。。。。あなたには天国へ行く確信がありますか?

現代人の忙しい時間の中で、静かになって心を鎮める時、見えてくるものがあります。聞こえる声があります。帰りませんか?神さまのところへ。

あなたが心を騒がして、不安に思う時、近くの教会へ出向いてみてください。もし、近くに聖書があれば手に取って読んでみてください。神の言葉は生きています。両刃の剣よりも鋭いので、心刺されるかもしれません。ヨハネの福音書に「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」と書いてあります。聖書のことばを心して受け入れる時に、神の言葉があなたの中で働き始めます。帰りませんか、神さまのところへ。


******今日の聖書のことば******

 あなたの重荷を主にゆだねよ。
 主は、あなたのことを心配してくださる。
 主は決して、正しいものが
 ゆるがされるようにはなさらない。
             (詩編 55:22)

 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、
 わたしのところに来なさい。
 わたし(イエス・キリスト)が
 あなたがたを休ませてあげます。
             (マタイの福音書 11:28)

 心の貧しい者は幸いです。天の御国は
 その人たちのものだから。
 悲しむ者は幸いです。
 その人達は慰められるから。
           (マタイの福音書 5:3〜4)

 イエスは答えて言われた。
 「『人はパンだけで生きるのではなく、
  神の口から出る
  一つ一つのことばによる』と書いてある。』
           (マタイの福音書 4:4)

 このときから、イエスは宣教を開始して、言われた。
 「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」
            (マタイの福音書4:17)

 イエスは言われた。
 「わたしは、よみがえりです。いのちです。
  わたしを信じる者は、死んでも生きるのです」
             (ヨハネの福音書11:25)

 わたしが与える水を飲む者はだれでも、 
 決して乾くことがありません。
 わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、
 永遠のいのちへの水がわき出ます。」
             (ヨハネの福音書4:14)

************************

がんばれ、日本!

今日も聖書勉強会の中で祈りが捧げられました。姉妹のご親族で、まだ連絡が取れていない方々がいます。グーグル等の検索でお名前を探していますが、いまのところ不明です。血のつながりのない人間がこれほどまでに心に留めるなら、神さまが、私たちのことをどんなに気にかけておられ、愛しておられるか、計り知れません。

祈っています。


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追記:上記姉妹のご親戚がご親戚が避難して無事だったと、連絡を受けました。お祈りしてくださった方ありがとうございます。神さまに感謝します。そして、引き続き、愛する方をなくされた方々、まだご家族と連絡が取れていない方々、避難を強いられている方々、援助に当たられている方々のため祈ります。

2011年3月15日火曜日

がんばれ、日本(3)

今日も会社で、沢山の方から「祈っているよ」「私の心と祈りはいま日本国民と共にあります」と声をかけていただく。クリスチャンの多い職場であることを改めて思わされ、感謝しています。

今回の地震で、「どうして?」という声、よく耳にします。どうして、日本?

どうして?と尋ねたくなるのも分かりますが、いまは国民、いや世界が一致をして愛を示すときなのではないでしょうか。これは日本だけに求められている課題ではなくて、人間として、求められていることなのではないのか?と思わずにはいられません。

亡くなった方々のご冥福を祈りつつ。。。。

私は、聖書の中で、息子を亡くしたやもめに出会ったイエスさまが彼女をあわれんだ、と記している箇所からも、今回の地震で沢山の方がご家族を亡くして悲しんでおられるのを知っている神さまが、残された人達のことを憐れんでおられることを想像してやみません。

そして、そのご家族を励まし、勇気づけるため、そう、私たちクリスチャンが出来ること。自分に与えられた光を照らし続けよう!


天が地よりも高いように、
わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、
わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。
              (イザヤ書 55:9)


神さまの思いを完全に理解することが出来なくても、私たちの想像をはるかに超えて、神さまが憐れみと愛を降り注いでくださることを、私たちは知っています。祈りを聞いてくださる方がいることを知っている私たちは、祈りましょう。


また子ども達に、不必要な恐怖が襲うことがないように、祈っています。

がんばれ、日本!

2011年3月14日月曜日

がんばれ、日本。 (2)

ただ、ただ、祈るばかりです。がんばれ、日本。

ご家族や知り合いの方を亡くされた方々の上に、神さまの慰めがありますように。この時にあっても、残された者が生きる勇気と生きているから得られる希望を失いませんように。そして、混乱や惑わしの霊が働きませんように。援助、救援に当たられている方々の体力、忍耐が守られますように。

また、神の働き手が送られますように。

こういう天災があると、もう地球の終わりが来たのか、ラプチャーが来たのか、あるいは(神さまから)罰を受けたのか?とクリスチャンの私に尋ねる方があります。

私が知っているのは、地球の終わりが来るとしても、ラプチャーが来るとしても、聖書にその日がいつである、とは書いていないこと。そして、神さまは愛なる方。神さまは愛そのものです。

神さまの愛が、降り注ぎますように。

一致の中に働かれる神が、日本国民の被災者を思う心、愛の中に働かれますように。

いまは、どんな事を文字にしても、みことば以外は軽く、そして不謹慎な気がするのは、多くの方が喪にふせていらっしゃるからでしょうか。

がんばれ、日本。

聖書の中にこういうときの励ましの言葉、沢山あります。
いまは、このことを書き留めておきたくて、とにかく書き込みます。

仕事から戻ったら、みことば書き込みます。

2011年3月11日金曜日

がんばれ、日本。

今朝は出勤前に、ワシントン州の知人から、早朝の散歩の際に海岸の波があんまり高かったので、地震に加えて日本のことが気になって電話をしてくれた。義母や義姉からも安否を気遣う電話が入った。出勤すると同時に、地震に関して沢山の方から「大丈夫か」「祈ってるよ」という声をかけていただいた。
また早朝から、牧師婦人から教会全体に「祈りのリクエスト」として地震のことを覚えて祈るように、と連絡が入る。
がんばれ、日本。

神戸の経験を活かした情報がオンラインやツイッター等を通して流れている。分かち合う事で、励まし合っている様子。いま求められているものは、人を思う気持ち、愛なんだね。
クリスチャンである私たちは、祈ろう! 祈りを聞いてくださる方がいる、と知っている者達が祈らずして、誰が祈るのか。神のみ前にへりくだって、祈ろう。

一人でも多くの方が救出されますように。非難している方々が守られますように。ご家族や知り合いの方を亡くされた方々の上に、主の慰めがありますように。二次、三次災害の被害が最小限ですみますように。そして、混乱の霊が働く事がないように。

私に出来ることは、きっと励ましのエールを送ること、そして祈ること。漠然としているようだけれど、聖書にこう書いてあります。
******今日の聖書の言葉******
(イエスさまの言葉)
 あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、
 地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、
 それをかなえてくださいます。ふたりでも三人でも、
 わたしの名において集まるところにはわたしも
 その中にいるからです。
           (マタイの福音書18:19〜20)

********************

今日もパサディナ界隈は青空でした。これは会社帰りに給油のためにコスコに行く途中。左側に大きな公園があるんです。ふと、ここは地震の際等には、避難所になるのかな、と考えました。そして、おそらく一瞬にして沢山の人を飲み込んだ津波等を目の当たりにした際に、どれだけの人が天国に行く確信を持っていたのだろう、って考えました。考えても始まらないことは考えるのをやめて、自分がすべき事をしよう、って思わされた日でした。

2011年3月10日木曜日

No Japanese Input Today!?

Good evening!  I am not sure but suddenly I can't write in Japanese!  Well, evening like this, may be I should be just taking it easy and spend some time for other stuff.  ^ ^

Here is a picture I took this morning on the way to my work.


We had another beautiful day. And it was another blessed day.  Not because it was fine.  But it is because, Jesus is with me!  ^ ^

Thank you for visiting again!

Something Good is Going to Happen to You!

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2011年3月9日水曜日

罪のない世界があるとしたら。。。

コンバンワ!今日もロスは春らしくてぽかぽかした一日でしたよ。なんだかロスは桜が先週あたりが見頃だったとか。桜並木まではいかないけれど、数週間前に数本の桜を見て、お花見は楽しませていただきましたので、まぁ良しとします。^^

でも、ロスはこれからいろいろな花が楽しめる時期になりましたよ。またお花情報は順にお伝えすることにして。。。。しかし、沢山の種類の花や木をデザインしてくださったのも神さまだったら、本当に神さま粋な方だなぁ。一つ一つの創造物に、いろいろな工夫がこなしてある。そう思えませんか?

今日のパサディナの風景です。夕方、息子の学校へお迎えに向かう途中です。



水曜日は仕事の帰りに息子のお迎えをしてそのまま教会へ直行です。牧師先生が導いてくださっての聖書の学びがあります。いま、出エジプト記を学んでいます。モーセとアロンの違いから、人間的な愛と神さまにある愛の違いを改めて考えさせられました。

朝は週末のメッセージの余韻で(?)、初めの人間が、神さまの愛をしっかりと理解していたら、罪は人間の中に入ることはなかったのだろうか。と思わされていました。これは土曜日のメッセージの中でも牧師先生から投げかけられた問いでもあるんですけどね。もし、この世に罪が存在しなかったら。。。

罪の結果としてくるもの、死、病気、不仲、不一致、争い、貧困、不必要な恐れ、恐怖、等、様々な、人間にストレスを与えるものが存在しないかもしれませんね。はっきり云えば存在することが出来ないのではないかな。

罪が存在しなければ、み〜んな神さまから出て、そのまんま神さまの子でいられる訳ですよね。そんな世界があると良いな。いのちが神さまから与えられるものであるなら、そのいのちから離れなければいい。

でも人は、自分で善悪を判断し、自ら善悪を決め、神さまから離れる時がある。嘘や盗みや、行動による罪以外にも、神さまから離れることは罪。自分がそうしていることに気づいたら、神さまのところに戻ればいい。自分の心がなんだかスッキリしなかったら、神さまのところに来たらいいよ。

神さまはね、あなたが戻ってくるのを待っておられるよ。

痛ましい事件が多い中で。。。。罪のない世界があるとしたら。。。。。痛ましい事件等はあり得なくなる。罪がないとしたら、自分の利益だけを求めて生きる人はいないはず。人々が愛し合い、助け合い、励まし合い、そういうことが自然と出来る。それは地上に神の国が来た、って云うことなんだろうな。病気の人が癒されること、そこに神の国がある、ってこと。苦しんでいた人が、苦しみから解放されること、神の国の到来。そして創造した方にある等身大の自尊心が持てるところも、やっぱり神の国なんだ。

*******今日のみ言葉******

  イエスは彼に言われた。
 「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。
  わたしを通してでなければ、だれ一人父のみもとに
  来ることはありません。」
            (ヨハネの福音書14:6)
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2011年3月8日火曜日

支配する=支払ワレタ、ということ?

私はずいぶん前からカリフォルニアの空が大好きだった。真っ青な空。それは、思春期の前から自由になれなかった、なりきれなかった自分と正反対で、かつ私を待っていてくれるような空だったから。



今日も今晩わの時間の書き込みです。

数週間、いのちにある支配、という題目のもと教会でメッセージを聞いているので、自分の生活の中にそれを適用すべく、自分がかつてあるいは未だに囚われている部分を見直す機会が与えられています。

あなたは何か囚われているものありますか?

かつての私は、ギャンブル、お酒、交友関係、タバコにも囚われていました。未だに囚われがちなところ、というのは、「〜がない」という視点。例えば時間、お金、旦那に対してとか、子どもに対してとか。

前者諸々は、クリスチャンになってもしばらくは続いていた部分が多かったです。でも、気づいたらこれらのものは私にとって必要とないものになっていました。自分が欲しなくなっていた、という言葉通りです。これらのものは気がつけば、一時の快楽に過ぎず、私が欲してそれを手に入れても、決して私に喜びを与えてくれるものではありませんでした。

後者については、まだ心して構えていかないと、ついうっかりした表現の中に、自分が囚われているなぁ、と気づかされるところが沢山あります。どの視点で、自分が直面していることを見るのか、ということが鍵であることも分かって来ました。

現実だけに目を止めたら、それぞれの人が24時間という限られた時間を与えられているけれど、でもその時間が時によってはとてもゆっくりすすむことによって限られて入る時間の中で沢山のことをこなすことが出来る。そういうことを体験しています。

現実だけに目を止めたら、幼少時からの体力のなさ、神経質、等、いろいろな理由からストレスでぶっ倒れても不思議ではない中、フルタイムでの勤務、6歳児の母であり妻であり、教会でさせていただいている奉仕等、自分にこんなに体力あったかなぁ?と思い起こし、感謝することは毎日です。

これもひとえに、イエスさまを心に受け入れたときから、私の罪が帳消しにされ、義とされた者に与えられた特権です。いのちにあり、支配する者とされている、ということは罪が帳消しに、そう支払われた、ということなんですね。

この支払われている代価によって、私は確実に自由になっています。囚われなくなった。前は一生懸命自分の本質を隠していたけど。。。そうそう、「イチジクの葉で何を隠すことが出来ようか!」と礼拝の中で語られ、自分の滑稽さに気づき、さらにもう一歩自由への道を歩みだした、という訳です。カリフォルニアの青い空のようにね。

自分が良い人になりたくて、良い人に見られたくてがんばって来た部分。そんな滑稽さも含めて、神さまが「そのままでいいんだよ」と呼んでくださった、その愛に、今年は応えたい、というのが願いです。Come just as you are.....そのままの君でいいんだよ。

もしあなたが一人で悩んでいたら、教会に行ってみてください。聖書を読んでみてください。

気づいたら、支配する=支払われたではなく、(代価が)支払われたから、支配するようになった、のですね。でもそのことによって、イエスさまが私のうちにおられる、今はこのことを心して信じ、受け止め、生活させていただいております。恵みだなぁ。

今日はなんだかこのみことばが気になる。

*******今日の聖書の言葉********

(イエス・キリストの言葉)


 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、
 わたしのところに来なさい。
 わたしがあなたがたを休ませてあげます。
               (マタイの福音書 11:28

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2011年3月7日月曜日

お父さん

すっかり陽気が春らしくなったこのごろ、今週末はもう夏時間に切り替わるのですねぇ。早いなぁ。なんて思っているのは、職場で忙しいからかなぁ。それに比べると、家にいる時に同じ1時間でも時間がゆっくりと過ぎていくように思えるのは、恵みだなぁ。

そういうことを特に感じ始めたのは、やっぱり時間に囚われない、ということを心がけ始めてからです。みことば(聖書の言葉)を学び、生活の中で適用する、ってとても恵みです。損得、って云うだけではないんだけど、自分が今まで構えて来た固定観念、時間に対しても、他の様々なものに対しても、それを超えて生活している、そういう空間があります。(これは、体験したことのない方には、なんだかすごく曖昧、かつ意味不明かもしれませんね。すみません。またゆっくり詳しく書きます。)

さて、さて、今朝の出来事から。昨日、ビクパパに怒られた息子に、「大丈夫?」と聞いてみた。息子が赦さない心のままでいないか、反抗心を持っていないか、という確認のつもりだったのだけど。

ちょっとはにかむように、息子は言った。「僕、知っているもの。僕の本当のパパ。」

何~っ?何を知っているんだというのだ、君は~~~っ? 私にやましい思いは何もないぞ〜〜〜っ!と子供の言葉の意味を勘ぐりながら、ポーカーフェイスで私が次の質問をしようとした時に。。。

「僕のね、僕のね、本当のパパは。。。
天の父なる神様なんだよ。」

と嬉しそうに、笑顔で私を見あげた。

えっ???
と思ったけれど、息子よ、確かにそうです。一理あり。
君が天の父なる神さまの子である、と信じるならば、そのご性質を自分の中にどんどん取り入れてほしい。あなたを見る人が、あなたの中にキリストを見ることが出来るようになってほしい。がんばれよ〜っ!そして、ビクパパよ、頑張ってクラサイ。


神さま、今日も感謝しつつ。そして、私たちを子どもとしてくださっていること、感謝します。^^
天のお父さ〜ん、愛してます♡


******今日の聖書の言葉******


 キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。
 そしてあなたがたは、キリストにあって、満ち満ちているのです。
          (コロサイ人への手紙2:9〜10)


********************


みことばがこの身になりますように。ということは。。。私もキリストにあって、満ち満ちた者なのです。そう、あなたもですよ!


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2011年3月2日水曜日

Know Your Numbers

今日も今晩わ、の時間の書き込みです。風邪が巷でははやるこの時期、みなさんは健康管理に何かなさっていますか?我が家は、と言えば、うがい、手洗いぐらいですけど。週3回、30分の運動はしたらいいですよね。

私がこんなことを書いているのも、会社で簡易健康診断というか血液検査、血圧測定のみなんですけど、Know Your Numbers(あなたの数値を知りましょう!)というイベントがありました。一昨年、去年と少しずつコレステロールの数値が上がっているので、前日は最近やっと食べられるようになった納豆を夕食に食べて検査に臨む!と張り切っていたのですが、メニュー変わって、豚の生姜焼きを食べてしまったのでした。。。(汗)



数字を知る、って実は生活の中では極力避けていることなんです。だって、何しろ私という人間は自分の頭であれこれ考えて、しっかりその枠の中で生きよう、とするタイプの人。こういう生き方をしている以上、神さまに委ねる、頼る、信仰を持って、祈りをもって、神の奇跡を待ち望む、という態度に表面的になったとしても、内側には自分の計算がいっぱい、という不信仰な状態を作り出すのです。だから、極力避けている。

いろいろな数値を知ったところで、ただの数字でしょ?とこの開き直りが、豚の生姜焼きになったのかもしれません。

話しを戻して、計算をして生きる、というのは、自分の生活態度の中にしっかりと身に付けてしまっていたことなので、それを解除する(これは私にとっては解毒と同じです)には、ある程度の志に近いものを持っていないと、すぐに罠にどっぷりはまってしまう訳です。すぐに、自分の考えで、あれこれ、とね。

去年の暮れの聖書キャンプでそのことに大きく気づかされたんですよね。神さまは私にも、「神のかたち」に創られた、最初の人間の特権を持ってほしいし、そういう生き方をしてほしい。って望んでおられる。イエスさまを信じた時に、既に与えられているんだよね。それを如何に意識して生活できるか、ということなんだなきっと。そして、自分が計算していては、神さまが働いてくださる余地を自ら壊している、って。

後は自分がどのくらい心を入れて与えられた特権を受け取り、信じるのか。また生活に適用するのか、ということなんでしょうなぁ。

特権、って与えられていてもその価値や、その内容を知らなかったら使えないものね。

Know Your Numbers自分の数値を知るのは良いけど、それに左右(支配)されるのはみこころではないなぁ。また、私自身は数値を知ったところで、何が出来るということもない。数値を知っても、それに心を留めず、私は自分の信じるところを口にしていこう!だって、神さまは、全宇宙を創られた万能なる神さまですからね。

え〜っと、私の血液検査の結果はですね、予想通り(?)少しコレステロールが高かったですよ。でもこれは運動不足が主な原因でしょう。一生おつきあいする神さまがくださった体ですから、もっと少し大切にすることにします。^^


*****今日の聖書の言葉******

すなわち、その名を信じた人々には、
神の子どもとされる特権をお与えになった。
            (ヨハネの福音書 1:12)

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みなさんも、健康管理もほどほどにね。健康管理が苦になったり、ストレスになったら逆効果ですからね。(笑)今日も訪れてくださってありがとうございます。良かったらポチしてください。おやすみなさい。

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2011年2月28日月曜日

死というもの

雹が降った後かなり冷え込んでいるパサディナから、こんばんわです。昼間は少し暖かいですが、朝夕は、さすが元砂漠地帯の気候からかめっきり冷え込んでいます。こんな季節の変わり目は風邪等引かないように、うがい、手洗いをしっかりね。

昨日の日曜4時の聖書勉強の中で、クリスチャンになる前とクリスチャンになってから死に対する態度がどう変わったのか、ということが話されました。私自身も以前は、死は人生の終わり、だと思っていた。それ以後は何もなし。だから、自殺をしたら、泡のように消えてしまうんだ、と美しくも思っていた。ましてや、その頃は肉体の死のことしか知るすべもなかったし。

イエスさまに出会って、クリスチャンになって、死というものが肉体のものだけでないことを知り、生きていても希望がない人生、そう、そういう人生を私は長い間歩んで来たんだけれど、神様から離れてあるいは神さまの近くにいるつもりでも、自分の力で一生懸命に生きようとしている人生は、霊的には死んでいる状態を作り出す。そういうことを知りました。
逆に、肉体は滅びても、人は生き続けるということも。天国が地獄かでね。

怖いのは。。。クリスチャンであっても、肉体は生きながら霊的に死んだような状態にはなり得る、って云うところです。現に、自分もそういう時期があったし。今の自分も吟味しないと、そういう状態に陥ることがある。私に欠かせないのは自己吟味かな。

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教会から帰って来て、実家に電話をしました。久しぶりの電話。母が「みんなは変わりがないけど。。。」といって、すぐお向かいに住んでいるご家族の娘さんが亡くなったことを教えてくれた。妹より1歳年下だったから、まだ41歳だったはず。

具合が悪いので、風邪かな?と思って、自分が勤める大学の病院のお医者さんに診てもらった時には、もう余命1週間だったそう。ご両親が呼び出され、大雪の中を彼女に会いにいらしたのだそう。

みんな人間的には悲しかったけど、きっと神さまが彼女を天国で必要とされたんだ!となんだか、その悲しさの中に希望があった、と母は語っていた。

ちょうど教会で話されたこと、「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。」とおっしゃったイエスさまとラザロの話しを母にした。ふ〜ん、よみがえるのかぁ。とちょっと人ごとみたいだった母ですが、「希望があるね」と言葉を締めくくっていた。

あるね、希望。それに、私たちはいのちにあって支配する権威が与えれている。それは単に素敵なこと、ではなくて、聖書に書いてあること。現に、毎日生きる希望そのものを見つけようとしてもがいていた、死にたい、という思いに囚われていた私が、今こうして、生きることは希望です、いや生かされることは希望であり、恵みです、なんて書いていること自体、私には不思議(神のわざ)の一つです。

自分のことが大嫌いで、人を、両親すらも信じることが出来なかった私が、人を愛そうとしている。それは神さまやイエスさまの愛に比べたら完全なものではないけど、自分の中で愛が芽生えている。年齢の若い人が昇天するのは人間的には悲しいこともあるけど、時を超えて働かれる神さまに期待しつつ、またその人との天国での再会を楽しみにしつつ、今日まだ私が生かされている意味を考えてみよう。そうだ、Sympathyカード作ろうかな。


******今日の聖書の言葉********

わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。
彼らは決して滅びることがなく、
また、誰もわたしの手から彼らを奪いさるようなことはありません。
           (ヨハネの福音書 10:28)

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雹の降った後は、雪化粧の山々がきれいでした^^

2011年2月26日土曜日

恵みの。。。!?

パサディナからは今晩わの時間ですが、日本では日曜日の夕方かな?みなさんの日曜日はいかがでしたか?教会の礼拝にいらした方も多いでしょうか。

昨夜から少し冷え込んだわが町では、我が家でも息子がお風呂から上がるには寒いからずーっとお風呂に入っていたい!等とだだをこね始めて、説得するのに時間がかかり、朝から(汗)でした。


教会についてしばらくすると、なんと、恵みの雨ならぬ、雹(ヒョウ)がいっぱい降ってきました。小粒だけど、すぐに解けることなく、数分はしっかりと形を残していました。20分近く降っていたかな。しかし、それだけ、寒かったということ?では、我が息子の朝のコメントは、彼は人間温度計?なんて一人笑っていましたけど。


礼拝においては、「いのちある支配」という題目の中、イエスさまが私の中に生きておられる、ということを再び学びました。そして、イエスさまの性質、神さまの性質=いのち。ということは、私の中にも神のいのちが溢れているのだ、って改めて受け取りました。

先週学んだ、心をいれて受け取る。聖書に書かれている沢山の神さまからの約束を心を入れて受け取っていきます!

神さまの愛のあるところにいのちがある、って云う言葉から思い出したエピソード。もう10数年前のことですが、私が野の花を摘むとすぐに手の中で枯れるかの如く、だら〜っとしてしまうという現象があり、見かねた牧師婦人がそのお花をご自分の手で持ってくださったときのこと。花はいのちを新たに得たかのように、再びシャン、としていました。愛のある人には、どんないのちも反応するんだなぁ、と知ることが出来た出来事の一つです。

夕方は、全景ではなかったけれど、素敵な色のサンセットを楽しませていただきました。この自然の配色一つを見ても、神さまは粋な方だなぁ、と思わずにはいられない私でした。^^

今日も一日、神さまに感謝しつつ、イエスさまに感謝しつつ。すべての栄光が神さまにありますように♡

********今日の聖書の言葉**********

 私たちは、私たちに対する神の愛を知り、
 また信じています。
 神は愛です。
 愛のうちにいるものは神のうちにおり、
 神もその人のうちにおられます。
             (1ヨハネ 4:16)
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2011年2月23日水曜日

将来と希望 〜エレミヤ書29章11節

私はやっぱりこのみことばが一番好き♡


エレミヤ書29章11節



わたしは
あなたがたのために
立てている計画を
よく知っているからだ。


それは
わざわいではなくて
平安を与える
計画であり
あなたがたに
将来と希望を
与えるためのものだ。

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小さな励ましや、嬉しさを見つけては、「人生悪くはないな」って思って来た私に、神さまは力強いみことばをもって、しっかりと励ましてくださり、勇気づけてくださる。私がいま生きているのは、イエスさまに出会えたから。罪人だった私を、十字架で流された血によって雪よりも白い者としてくださった。人に合わせて、本心から笑うことも出来なかった私に、喜びを与えてくださった。イエスさま、今日も感謝します。(^^)私には復活の力が流れている。神さま、ありがとうございます。

なんだかお礼が言いたくなった日に。(^^)v


みなさんも、今日も訪れてくださって、ありがとうね。



アクションプラン

みなさんは、今週の予定、ゴール、それに基づいてアクションプランを立ててますか?

今週教会の婦人グループに与えられたアクションプランは、名刺、フライヤーを作り配り始める。プラス祈り。もちろん祈りはメンバー全員がすることなんだけれど、私はこのうち、名刺、フライヤーを担当することになり、昨日出来上がった草案を手直しして完成させることが出来た。よかった。

名刺については、購入した紙が、なんと!いつも使っている紙とは違い1ページに名刺8枚が印刷できるようになっている。私は普段1ページ10枚の書式を使っているから、買い間違えてしまった。封開けたけど、使っていないから交換してもらえるかなぁ。こういうほんの少しのおっちょこちょいが、予想外に発生するのが私の生活。まぁ、今回はすでに購入済みの用紙を使うことにしました。

今回、私はどうしてもこの名刺に「祈りの手」を印刷したかった。というより、婦人の柔らかさを出すためには、スタンプで、版画風に押してみたかった。そういうところに固執してしまうと、次の作業に進めなくなる私だったりするのですが、まぁ、この部分は印刷で良しとしました。本当は消しゴムはんこでも作りたい!と材料探しに行ったのですが、版消しが流行っている日本とは違い、私が必要としている大きさの消しゴムも見つからず。。。。まぁ、固執するのは棚において、次回挑戦してみよう。他のメンバーでは、スマイルマークが好きな人もいて、これは私のスタンプコレクションでSmile!  Jesus Loves YOU!というサークル型のものがあり、これを押すことにしました。

ここでふと、「祈りの手」を印刷したい、と思ったのは、「母の祈りなくして、この世界はどうなる?子供達はどうなる?」という思い、願いからなのですが、なんだか、「祈ってますよ〜!」みたいで逆に律法的に見えるかなぁ〜〜〜?とそう考えるところがもう既に律法的?とにかく、どうであれ、神さまが入れてくださった最初の思いに忠実にすることにしました。

よし、配り始めるぞ!

アクションプランは、自分の時間を優先すると実行に移せないなぁ。神さまの愛に応える、というのは今年の私の課題の一つなので、しっかり実行していきたい。結果は神さまに委ねる。がんばるぞっ、主にあって。私の神は良き神さまだからね!間違えそうになったら、ちゃんと導いてくださる。

これは昨日訪れたすっかり春色になっているクラフト屋さんの花(シルク・フラワー)売り場。もう至る所でイースターの商品が展示されていました。

イースターまで後2ヶ月。イエスさまの復活の力を伝えたい人のリストアップをする、というのは私の今週のアクションプランです。(^^)

どんなときも、神さまの愛に応えていきたいですね!

*******今日の聖書の言葉*******

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、
世を愛された。それは御子を信じる者が、
一人として滅びることなく、
永遠のいのちをも持つためである。
         (ヨハネの福音書 3:16)

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2011年2月21日月曜日

晴れた休日

仕事も、息子の学校もお休みの日は少しのんびり。昨日課題になったアクションプランを朝から実行に移す。イェ〜い!地域礼拝のフライヤー草案を完成させたぞ。そして名刺の紙も文房具屋さんと呼ぶには大きいSに買いにいけた。おまけに手芸屋さんのMにも寄れた。休みの一日は私にとっては盛りだくさんの日。これまた祝福だ。

この3連休は雨の予想がでていたのに、土曜日を除いて、晴天なり!晴れた休日は嬉しい。息子と公園に行くことも出来たし、何よりもその公園でサクラを見ることが出来た。去年まで息子が通っていた幼稚園の前に植えられている木々が、そろそろ咲いているかな?と思ってドライブしていた矢先のこと、神さまに先手を打たれたようでとても嬉しかった。


サクラの銀色の樹皮を見て、サクラだよ〜!ってなんだか今年は格別に嬉しかったなぁ。日本に対してホームシックなのかな。(^^)それに、真っ青な空を背景にして、花の色がとても映えていた。

しかし、土曜日の雨の中よく保ってくれたね、サクラちゃん。私を待っていてくれたのかな。

晴れた休日は嬉しい。サクラを見て、空を見て、雪のかかった山を見て、天地、いのちを創造された神さまの愛に触れ、息子と父なる神さまに感謝した日。


*******今日の聖書の言葉************

神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、
世界の創造されたときからこのかた、被造物によって
知られ、はっきりと認められるのであって、
彼らに弁明の余地はないのです。
            (ローマ 1:20)

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今日も訪れてくださってありがとう!あなたも神さまによって造られたもの。美しいもの、ですね!

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イースターウィーク

シャローム。 今週は受難週、イースター(復活祭)の前の週ですね。 復活祭とは、イエス・キリストの復活をお祝いします。 そして受難週とは、復活祭の前日までの1週間のことです。 このイエスが神の子でありながら、地上に人間として送られました。 ご自分は罪のない...