2010年1月16日土曜日

霊的生活 vs. 魂的生活

今日の説教は「霊的祝福 No.2」。


先週は、下からの水と上からの水の話しを中心にされましたが、今日は霊的に生きているものが求めるものと世の中で生きている人が求めるものの違いを、みことばを持って説明されました。


私たちは、人間として生活する際に普通は地位、名誉、お金、等の物質的なものに目を留めます。でも、霊的に生きているもの、例えば天使たちは、人のいのちが救われること、神のことばにとても興味がある。そして、イエスさまを信じて、クリスチャンとされた者は霊が再活性化されるので、霊的に生活をするはずである。けれどもし、私がクリスチャンでありながら、まだ物質的なものを熱心に求めているのであれば、それは霊に属するものではない、ということをみことばを持って説明されました。そして、見えるものを追って生活するのを魂によって生きる、つまり魂的生活とも呼べるでしょう、と。


うぅ。宗教家を捨てたい私には、耳の痛い話し。でも、大切なことです。自分の症状だけでは、病気が治せないように、原因をはっきり知って、その原因を治療することが出来れば、病原菌と戦うことが出来るのです。同じことが宗教家的生活でも言えているのですよね。また、物質的なもの、目に見えるものを追っている人でも、その度合いによって、霊的に死んでいるレベルが違う、って。実際には人間として地上に生きているけれど、私は霊的にどのくらいのレベル死んでいるんだろう。。。


前回とその前の書き込みをして、息子の発言から「心の目」の存在を改めて考えさせられている中で、私は説教を通しても、霊の目を開くことを示されました。神さまが「もっと霊の目を大きく開きなさい!」と叱咤してくださっているように受け取りました。霊的生活を極自然にできるようになるのを目指して、がんばろ。それは霊によって歩む、ということですね。


学ぶところが非常に多し。これは霊の目が開かれつつある、ということでしょうか?!?何だか、これが年初めなんて、ワクワクしますね!感謝です♡


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教会のクラフトチームではバレンタインにお遣いいただけるような、お菓子パックをスタンプとパンチで作り始めました。バレンタインまで、後一ヶ月ですね。神さまの愛を伝えるために、この日が用いられますように。




*******今日の聖書のことば*******


  人間の息は主のともしび、
  腹の底まで探り出す。
            (箴言20:27)


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人間には、神さまから与えられている霊があります。その霊は、神さまがあなたをこの世に送ってくださった目的や神さまがあなたに望んでおられるベスト(最善)をも知っているんですね。その霊が活発でありますように。


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2010年1月14日木曜日

どこで見るの?

イエスさまが見えるとか言う息子に対して、私は特別に「そんなこと言っちゃ駄目でしょ」とかという自分の視点からの表現をしなかったけれど、それで良かったのかな。親として、大人の固定された考えを、子供たちに、そう無限に想像力を膨らませることが出来る子供に対して押し付けようとは思わない。すべての大人が、自分の考えを表現する時に押し付けるように発言するわけでは決してないけど、私の場合、結構ことばが強いし、押しつけ風に聞こえてしまうことが多々あるから。。

でも、あんまり気になるので、聞いてみました。
「ねぇ、昨日言っていた、イエスさまが見えるって。本当?」
会話はまたもや通園途中の車の中。
「見えるよ〜!」
私の反応を少し待ってから息子は、
「教会でも、うちでも、目を開けていても、目を閉じていても」
また少しして、「イエスさまが外にいても、心の中にいても、見えるよ!」

えっ。。。目を閉じても???

「ママ、イエスさまは心で見るんだ、って知っているよね?」
ですって。何だか、私の素朴な問題解決。
でも、そうか、子供には、やっぱりそういう心の目が働いているんだなぁ。
ちょっと考えさせられる発言でした。

********今日の聖書のことば********

  私たちは、見えるものにではなく、
  見えないものにこそ目を留めます。
  見えるものは一時的であり、
  見えないものはいつまでも続くからです。
       (コリント人への手紙第1 4:18)


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2010年1月12日火曜日

見えるもの

皆さん、新しい年を迎えてもう2週間が経とうとしていますが、いかがお過ごしですか?私は新年、気持ちを新たにブログの背景を変えてみようと、時間を見つけては試みているのですが、サイドバーの維持が出来ないみたいで、ちょっと頭を抱えています。もう少しITに関して知識があるといいんだけどなぁ。

いま教会では、私が新年の豊富にあげた「霊的祝福」について学び始めました。水には、下からの水と、上からの水がある、って。聖書に通じていらっしゃる方はきっと、あそこかしら?と思い浮かぶ方もあるかもしれませんね。はい、ヨハネ4章、サマリヤの女のことからも学んでいます。

私はこのイエスさまが井戸端であったサマリヤの女のことを聖書で読むたびに、自分の過去を思い出します。自分の幸せを他の人に求めていた。自分の心の餓え渇きを、人間同士の交わりで求めようとしていた。でもそれは全然満たされるものではなかったのです。

初めて、いま通う教会に足を踏み入れた時に、自分が人生で探していたパズルの一片がポンッ!と音を立てて心にはまったように感じました。それが、上からの水だったんですね。

私はそれまでに、人生の中でどれだけお金を持っていても、家族がいがみ合っていたり、幸せでなかったり、幸せを振る舞っていても満たされていない、という人を沢山見てきました。人間が地上で手に入れられる見えるものには、人を幸福にするには限度があるけれど、神さまからのもの、ってその枠にはまらないんですよね。

そうそう、今朝息子に聞かれたんですよ。「ママ、イエスさまって見えるよね?」私たちは息子の幼稚園に向かっている時だったので、運転しながら、無言になってしまいました。しばらくして、私は静かに聞いてみました。「あなたには見えるの?」

息子は不思議そうな顔をして、「見えるよ。心の中にいる時は見えないけどね」へっ??
「でも、ミス・ダーリーンは見えない、って言うんだよ」  ・・・

そう、見えるの?こういうところで、私は極力自分の考えを子供に押し付けないことにしています。子供の心には、イエスさまというお方が見えるのかもしれません。それは彼らの心の目がまだ完全に開いていて、霊的なものに敏感だから。

私たちは、大人になるに連れてそうした感覚を軽視し、鈍らせて、ついには神さまとの交わりを完全に絶ってしまい、自分のしたいことを、自分が善悪を決めて生活するようになります。それが霊的に死んだ状態です。でも、心は知っています。だから、心が上渇くのだと、私は思います。上からの水、求めてみませんか?

興味のある方は、教会のサイトからPod Castingでメッセージがお聴きできますので、是非訪れてみてください。


*******今日の聖書のことば*******

 心のきよい者は幸いです。
 その人は神を見るからです。
           (マタイの福音書 5:8)
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2010年1月3日日曜日

A Happy New Year from Pasadena, CA

開けまして、おめでとうございます! 
今年もよろしくお願いします! 

我が家の年末年始は、冬のバイブルキャンプで過ごさせて

いただきました。 
そのタイトルも「私にあるものをあげよう」。 

単純に「恵まれました」という言葉では表現し難いくらい、 
奥の深い、恵み多き日々を過ごさせていただきました。 

「私にあるもの」 

私が既に与えられているもの。 
使徒の3章から、ペテロが足なえの男に向かっていう 
「イエスの御名によって、立って、歩け!」という言葉から、 
単に祝福の事を想像していました。 

この地上で生きるための、必要とか、自分に取って良い事、 
そういう事ばかりを今まで願ってきた自分の姿を示されまました。 

神さまは、それ以上に、霊的祝福をもって、私たちにすべての権威を 
委ねておられる。その裏付けを、牧師先生は、聖書の言葉をもって 
解き明かしをしてくださりました。 

私たちは戦うのではなく、ただ立ち向かう、みことばをもって 
しっかりと立っているだけなんですね。 

今回のキャンプで、牧師婦人の導きの時間にも自分自身がいかに 
交わりをもたずして、聖書を読んでいるかが知らされました。 
私の大好きな聖句の一つ、ヨハネの福音書3章16節。 
この聖句は私は、手作りカードにもよく使っています。 

 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。 
 それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、 
 永遠のいのちを持つためである。
 

この箇所から、「いのちとは何か?」と尋ねられた際に、 
私ははっきりと答える事が出来ませんでした。 
救い、天国へ入る切符、そういったたぐいのものしかあげられなくて。 

永遠のいのちとは、私にとってなんだろう? 

貧しい人が豊かになること 
淋しい人が、慰めを得ること 
病んでいる人が癒されること 

みことばとは、そういった具体的なものであるんですよね。 
私は改めて、気づかされました。このみことばが、また一段と 
心の奥深いところに根付いたように思います。 

感謝とともに。また、神さまに期待しつつ。 
すべての栄光を神さまにお返ししつつ。主の名を褒め讃えつつ。 

さて、今年の抱負は。。。何にしようかなぁ。 

  *******今日の聖書のことば******* 

   見よ。わたしは新しい事をする。 
   今、もうそれが起ころうとしている。 
   あなたがたは、それを知らないのか。  
                  (イザヤ 43:19)
 
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キャンプ中のハイキングで

虐待のニュースが続く中で

私は、このニュースを初めて耳にしたとき、この冷蔵庫に入れられた子供とわが子供が同じ歳だった。どうやって、自分の子供が入っている冷蔵庫を毎日覗くことが出来たんだろう?とすごく疑問だった。そして、何という親だ!って母親に対して、怒りが来た。 救え幼い命:児童虐待の現場から/1 兵...