2010年8月23日月曜日

8月に思うこと

 今年の8月15日は、65回目の終戦記念日で、新聞でも各紙でいろいろな特集を読むことが出来た。改めて、私が思ったのは、戦争で犠牲になった方々がいて、日本人として生まれた私が存在しているんだな、ってこと。特に、広島、長崎の原爆のことを読み、思いを巡らせるたびに、そう思わずにはいられない。

これは毎8月に思っていたことでは決してなかったけれど、7月に帰省した際にも、いま聞いておかなければ聞きそびれてしまうかも、と思ったので、両親にわずかに残る戦争の記憶を尋ねたから。

ロシアで捕虜になったことのある母方の祖父に、戦争のことを話してほしい、とせがんだことがある。確か私が小学校3年生で、初めてカセットレコーダーを手にした最初のインタビューを祖父にしようとした時だった。

祖父は、同じ部屋に私や祖母がいる時は決して話し始めなかった。自分一人の時に、少しだけ録音してくれた。が、少し話しては、涙にむせて、録音が出来たのはほんの数十秒だった。

戦争の間、そして戦後日本に帰ってくるまでに、食べられるものは何でも食べた。蛇も、ミミズも、カエルだってごちそうだった。

捕虜になっている時に、毎晩交代で義務づけられていた見回り当番があった。祖父は自分の当番の夜、どうしてもひどい頭痛が収まらず、捕虜仲間で気の合う友人が、当番を交代してくれた。そして、その晩、何者かが見回り当番を撃った。見回り当番は即死だった。祖父が聞いたのは、寒い夜空に響く銃声だけだった。祖父は、それを一生気にしていた。90歳を過ぎて、自分の記憶がいつもはっきりしない状態でも、亡くなった友人のことを思っていた。

祖父は多くを語らなかった。祖父にとって戦争は、消したくても消すことの出来ない思い出だったのかもしれない。

戦争は、極普通の人に、殺すか、殺されるか、という選択を迫るのだ。

自分の身代わりに誰かが亡くなる。

私には十字架の上で、私の罪のために亡くなってくださった方がある。そう、その人の名はイエス・キリスト。ある時、祖父にイエスさまのことを話したら「もったいない、もったいない」と言って大泣きした。彼には、そのいのちの重さがはっきりと分かったからだろう。

私たちは、いま、物質的にも豊かになって、平和にも恵まれて、多くの点で、戦時中、戦後直後から比べたら富んでいる。でも、そのありがたさを誰かが伝えていかなければ、当たり前のことになってしまう。いのちの重さだって、メディアを通して伝わってくる意見等では、なんだか軽いものになっているように響く。

私も自分のいのちを虚しいもの、と考えていた一人ですから、大言壮語はできません。そんな人間でも、こうして毎日を生きる喜びを、いまは与えられているのです。

伝えていきませんか?

あなたに与えられた、命の大切さ。イエスさまにあって、生けるものとされた喜び。


**********聖書の言葉*****************

   神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、
   世を愛された。
   それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、
   永遠のいのちを持つためである。
              (ヨハネの福音書3:16)
********************************



5歳の息子が聞きました。「あの大きな爆弾(原爆)を落とされたのに、どうして日本とアメリカはいま仲が良いの?」
赦された故に、赦す、ということを知っているキリスト者は幸いですね。



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