2010年8月30日月曜日

虐待のニュースが続く中で

私は、このニュースを初めて耳にしたとき、この冷蔵庫に入れられた子供とわが子供が同じ歳だった。どうやって、自分の子供が入っている冷蔵庫を毎日覗くことが出来たんだろう?とすごく疑問だった。そして、何という親だ!って母親に対して、怒りが来た。

救え幼い命:児童虐待の現場から/1 兵庫・冷蔵庫に4歳男児遺棄、2年後に自首 mainichi.jp/select/jiken/n… via @mainichijpnews


その後詳しい話しを知らないまま、新聞での特集の中で、母親の事情を知った。そうだったんだね。今は、この母親にハグしてあげたい。そんな気持ちです。

前回記述のように、日本への帰省中に妹と話した私は、いま起こっている事件に対しての犯人の幼さ、についても意見をかわした。どんな場合でも、精神鑑定の結果がどうとか、ということが言われ、書かれている。

でもね、

妹に言わせれば、

やっぱり、みんなもう大人なんだよね。

善悪の判断は自分でするべきではないか?ということだった。

私は特にこの虐待に関して思わされることがいくつかある。
1。この母親は、相談するところがないと思えても、子供を預かってもらっていた保育所の先生等には話せなかったのか?
2。出会い系サイトであった人に、簡単に自分の人生を委ねてもいいのだろうか?
3。この母親の家族は、孫に会えないことに2年も気づかなかったのか?
4。この母親は、本当に自分の実家へは帰れないと思ったのか?

虐待の事件はあるべきではない、と思う私は、さらに言いたいのです。
もし、この母親が、肩身の狭い思いをしても実家に帰ることが出来れば、あるいは相談相手として、誰かが自分のことを受け入れてくれると知っていれば、このような結果は招かなかったはず。

この人は、自首するまでの2年と言う長い時間の毎日を、冷蔵庫を開けてどのように悔やんでいたんだろう。

私は、誰をも人のことを責めることは出来ない。自分だって疲れている時、子供に辛くあたってしまうことがある。子供の要求に応えなくては、と思っていても、そう出来ないことも沢山ある。

もう一つ思わされるのは、この母親も、また虐待をした義父も、子供の頃には同じように虐待されてきたのではないのだろうか。だから、それ以外の方法を知らない。

本当に愛のある接し方を誰かにされていたら、どんなに冷たくなっていた心だって開くのではないかな。誰かが、自分のためにいのちを捧げてくれたって知ったら、そのいのちの重みが理解できるようになるのではないかな。

私も親に虐待されてきました。小さい時に、近所の方で「子供はそんな風に体罰を与えても、良くは育たないよ」と云い続けてくださった方がありました。その方の言葉を、その頃の母は理解できなかった、と云っていました。でも、いま孫を目の前にして、解る、って。もう遅いよ、だって、私それよりも前にイエスさまの愛を知ったからね。その愛を全うしてくださっている牧師先生ご家族にも出会ったし。また、そして母が一生懸命に私を育てようとしていたこともよく解るようになりました。

もし、あなたが育児の最中で、子供に辛くあたってしまうことがあると思ったら、誰かに相談してください。身近に信頼できる人がいないと思ったら、行政の機関を頼るということも出来ます。あなたのパートナーが自分の欲求を満たすことが出来たとしても、子供を亡くして、一生後悔して過ごすより、あなたには良き未来が待っていますよ。

もし、あなたの近くで虐待されていそうな子供を見かけたら、勇気を持って声をかけてあげてください。あなたの一声がその子の命を救うことになるかもしれません。

そして、もし、あなたがクリスチャンであれば、世の中の光として存在し続けてください。あなたの眩しい存在が、家族の命を救うかもしれません。

虐待はいますぐ、無くならないかもしれません。でも、今の子供たちの時代に、本当の愛の大切さ、弱いものを守ることの大切さ、そして自分がどんな状態でも受け入れてもらえる人が、神が、いることが分る人ばかりになったら、悲しい事件は無くなるでしょう。

マーティン・ルサー牧師が、黒人のこと白人の子供が手をつないで学校に通うことを夢見たように。私は、小さないのちが、安全で、安心して暮らせる世の中を夢見たいです。そこにも神の国が、存在している、と思えてならないのです。


******今日の聖書のことば******

  神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、
  世を愛された。
  それは御子を信じるものが、一人として滅びることなく、
  永遠のいのちを持つためである。 
             (ヨハネの福音書 3:16)

  神は人をご自身のかたちとして創造された。
              (創世記 1:27)
**********************




2010年8月28日土曜日

弱かった私と感謝の大切さ

先月、あの熱中症で病院に運ばれる人の数がピークになった週に私は息子とともに、日本へ帰っていました。あづ〜〜〜〜〜。っていうの、何の、本当にこの暑さ、何年も忘れていた自分にびっくりしました。しかも、やっぱり、蒸し暑い。ロスは暑くなるけれど、湿気がないから過ごし易いんだよね。だから、日本からロスにいらっしゃる方々は、そんなに気温が上がっていないと思うのと、水分の摂取が足りなくて、脱水症になる方が多いので、要注意です。


話しを戻して。私はこの蒸し暑さの中で、大丈夫かな、って正直思っていました。それはね、かつての私は、今の私だけを知っている人からすると想像もできないくらい、体が弱かったんです。ましてや蒸し暑さに対抗する程の体力がなくて、しょっちゅう夏バテを起こしていました。ロスで生活していても、水分摂取がほんの少し足りなくても、すごい頭痛や体のだるさで寝込むこともしばしばでした。7月の帰省を前にして、体力が守られるように、と祈らなかった日はないほど、だったのです。


名古屋は暑かったです。午前10時になる前に、摂氏30℃を超えて、朝水風呂に入っても、お風呂場から数歩歩いて洗面台に行くまでに汗びっしょり。かなわん。。。。


滞在二日目、ちょっと頭痛がし始めて、来た来た!って思いましたよ。でもね、これは以前の私にとっては、ごく普通のこと。いえいえ、当たり前のことだったんです。しかしながら、今回の私は息子連れ。体調を壊しているわけにはいかず、祈りましたよ。イエスさまの名を呼んで。頭痛の霊が私から出て行くように。そして、私は健康です!って告白したんです。


滞在中は、何度も父が言っていました。「しかし、昔は20歳まで生きるだろうか、と思うほど細くて、体も弱くて、ましてや子供なんて産めないと思っていたけど、こうしてこんなに太って、元気なんだもんなぁ〜」はい、もちろんこれは私のことです。私は気管支系が弱かったのと腎臓も悪かったし、何しろ神経質で否定的、長生きはしない、と思っていたんでしょうね。父にとっても、今の私の存在そのものが奇跡のようでした。


気づけば、祈った頭痛は30分もしないうちに、全くどこかに行っていました。こんなに早く頭痛がとんでいったのは、初めてかも知れません。よく、癌とかの大病に関しては、祈りの課題としてあげる人が多いけど、頭痛とか風邪は祈らない人が多い、と聞きます。今回の経験からも祈るのをお薦めします。


そして、私と息子の日本滞在は、あの猛暑の中も、体力ばっちり!守られましたよ。


神さまに感謝して♡


*****


話しは変わって、今回の滞在中に実の妹と沢山話す機会と時間が与えられたことにも感謝です。妹は、臨床心理士をしています。学校のカウンセラー等をしているので、いじめとか鬱、アスペルガー、自閉症の子供たちに接しているようです。


ここ数年の日本における悲惨な事件の中で、やっぱり自分だけの利益だけを求める人が多いね、という意見に同意していました。いくつか二人の間で「本当にそうだよね」という感想がでたものに、


子供のうちから早寝の習慣を付けておかないと、後になって精神を煩うことが多いのでは。
(これは私の経験からも言えます。勿論それがすべてではないです。でも発生確率は、早寝をさせている子供に比べるとはるかに高いはずではないか。)


精神病になり易い人の傾向として:多くの人が人のせいにしている。
人に感謝が出来る人は、精神病になっても専門家にかかっている場合にも治りが早い。


そして。。。いま、カウンセリングにいらっしゃる方々の中で、オンラインで自分のニックネームやハンドルネームのみを公開して出来た友達が多くいることを自慢している方がいらっしゃる。つまりリアルの世界は、彼らの中に存在しないもの、してはいけないもの、あるいはする必要がないもの、と処理されている。


なんだか、ちょっと、淋しい世の中になってきましたね。


実は、私自身も想像の世界に浸って、親を憎み、自分の生活を憎み、精神に病み、苦しんでいた時があります。感謝する?そんな言葉はなかったです。「なんで私ばっかり!?」「なんで私の親はこうなの?」いつも非難の目は他人に向いていました。


感謝できる、って大切なことですね。子供にも、感謝の気持ちを忘れないように。小さいことでも、そう、晴れの日にも、曇りの日にも、雨の日にも、神さまがくださったその一日に感謝して、また生かされていることへの恵みにも感謝して。そういう気持ちが持てる人になってほしい、と願っています。もっとも、親の私が心から感謝していなければ、この気持ちを引き継ぐことは出来ないと思いますけど。


ちょうど、このことを考えていた時に、私の神にある兄弟のお一方が、通勤一人礼拝という題の日記を記述しておられたので、興味深く読ませていただきました。


今日生きていることが感謝できれば、そして明日に期待できれば、どんなに今が暗くても、一筋の光が差し込みますね。


自分の子供にではないかもしれないけど、もしあなたの周りに、感謝できない予備軍がいたら、あなた自身が光となるチャンスでもありますね。


息子が横から、もうネンネしよう!と私の腕を引っ張りますので、今日はこの辺で。
聖句も書き込みたかったけれど、また。。。。明日。。。かな?


お休みなさい!


明日も良い日でありますように!
神さまに感謝しつつ!イエスさまに感謝しつつ!


そして、今日もこのブログを訪れてくださった、あなたにも感謝しつつ!

2010年8月23日月曜日

8月に思うこと

 今年の8月15日は、65回目の終戦記念日で、新聞でも各紙でいろいろな特集を読むことが出来た。改めて、私が思ったのは、戦争で犠牲になった方々がいて、日本人として生まれた私が存在しているんだな、ってこと。特に、広島、長崎の原爆のことを読み、思いを巡らせるたびに、そう思わずにはいられない。

これは毎8月に思っていたことでは決してなかったけれど、7月に帰省した際にも、いま聞いておかなければ聞きそびれてしまうかも、と思ったので、両親にわずかに残る戦争の記憶を尋ねたから。

ロシアで捕虜になったことのある母方の祖父に、戦争のことを話してほしい、とせがんだことがある。確か私が小学校3年生で、初めてカセットレコーダーを手にした最初のインタビューを祖父にしようとした時だった。

祖父は、同じ部屋に私や祖母がいる時は決して話し始めなかった。自分一人の時に、少しだけ録音してくれた。が、少し話しては、涙にむせて、録音が出来たのはほんの数十秒だった。

戦争の間、そして戦後日本に帰ってくるまでに、食べられるものは何でも食べた。蛇も、ミミズも、カエルだってごちそうだった。

捕虜になっている時に、毎晩交代で義務づけられていた見回り当番があった。祖父は自分の当番の夜、どうしてもひどい頭痛が収まらず、捕虜仲間で気の合う友人が、当番を交代してくれた。そして、その晩、何者かが見回り当番を撃った。見回り当番は即死だった。祖父が聞いたのは、寒い夜空に響く銃声だけだった。祖父は、それを一生気にしていた。90歳を過ぎて、自分の記憶がいつもはっきりしない状態でも、亡くなった友人のことを思っていた。

祖父は多くを語らなかった。祖父にとって戦争は、消したくても消すことの出来ない思い出だったのかもしれない。

戦争は、極普通の人に、殺すか、殺されるか、という選択を迫るのだ。

自分の身代わりに誰かが亡くなる。

私には十字架の上で、私の罪のために亡くなってくださった方がある。そう、その人の名はイエス・キリスト。ある時、祖父にイエスさまのことを話したら「もったいない、もったいない」と言って大泣きした。彼には、そのいのちの重さがはっきりと分かったからだろう。

私たちは、いま、物質的にも豊かになって、平和にも恵まれて、多くの点で、戦時中、戦後直後から比べたら富んでいる。でも、そのありがたさを誰かが伝えていかなければ、当たり前のことになってしまう。いのちの重さだって、メディアを通して伝わってくる意見等では、なんだか軽いものになっているように響く。

私も自分のいのちを虚しいもの、と考えていた一人ですから、大言壮語はできません。そんな人間でも、こうして毎日を生きる喜びを、いまは与えられているのです。

伝えていきませんか?

あなたに与えられた、命の大切さ。イエスさまにあって、生けるものとされた喜び。


**********聖書の言葉*****************

   神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、
   世を愛された。
   それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、
   永遠のいのちを持つためである。
              (ヨハネの福音書3:16)
********************************



5歳の息子が聞きました。「あの大きな爆弾(原爆)を落とされたのに、どうして日本とアメリカはいま仲が良いの?」
赦された故に、赦す、ということを知っているキリスト者は幸いですね。



イースターウィーク

シャローム。 今週は受難週、イースター(復活祭)の前の週ですね。 復活祭とは、イエス・キリストの復活をお祝いします。 そして受難週とは、復活祭の前日までの1週間のことです。 このイエスが神の子でありながら、地上に人間として送られました。 ご自分は罪のない...