2009年11月11日水曜日

弱いということ vs 強いということ

つい先日、幼稚園の先生から「ちょっとお話しが。。。」と呼ばれてしまいました。うちの5歳児、どうやら時々ひどくあるクラスメートと張り合って、時には非常に空気が張った状態だったりするらしい。

そして先日、パワーレンジャーごっこをやっていた、と本人は主張するのだが、先生が気づいた時には、お互いが向き合って、取っ組み合いのけんかに発展しそうだった、そうだ。先生が止めに入るまでの本の一瞬に、息子は、跆拳道で習ったパンチの型を見せて、相手を威嚇したのだが、どうやら手を伸ばしたとき、相手の方からも寄って来たので、伸びた手は相手に当たってしまった。

母親としては、相手の子も普段おっとりとしているように見えて、けんかするような相手ではないと思うんだけどなぁ。それに、どちらの子もクリスチャンなんですよね。だから、なんと云おうか、本当はそんなことあってはならないはず。

息子がもし、その子に何らかのライバル意識を抱いているとしたら、思い当たるのは、その子のお父さんが警察官なのであります。わが息子は、将来、悪い奴らを捕まえて牢獄に入れる、という使命感に燃えており、警察官の父を持つ相手の子をうらやましいと思っているのか。

いや、そういうのは妬む心に発展するのであって、人類始まって以来の最初の殺人事件の要因であり、また人間において一番いけない罪でもあります。なんで?って、相手が悪いこともしていないのに、妬むのはよくないでしょう?ましてや、クリスチャンであれば、神さまの恵み深さを知っており、それが足りないと思う気持ちが妬みに発展しているのではないでしょうか?

「どんなことがあっても、跆拳道の型も道場以外ではやらない、試さない、とママも先生も言ったのを覚えているか?」と静かに聞いたら、息子は下を向いた。はは〜ん、自分が悪いことをした、という意識はあるようです。「どうして、そういうことをしたのか?」という問いには、答えを見つけようにも、何だかしどろもどろ。数十分経ってから、息子が言ったのは、「だって強いところを見せたかったんだ」

私は正直、この言葉に面食らいました。5歳と云えば、当たり前だけど5年間しかまだ人間として生きていない。そんな短い人生の中で、「強いことはよいことだ」という意識が芽生えていたんだなぁ。いやむしろ、「強くなくてはならない」という意識の方が強かったようでした。

イエスさまを信じているものには、聖書は何て言っているのか、って云うのを説明しました。「え〜っ!?強くなくてもいいの?強いって、証明しなくていいの?」とすごく驚く息子を見て、我が家での生活態度、会話の在り方を反省しました。親の何気ない言葉や大切にしている価値観を子供たちは極自然に身につけていきます。私たちは、世の中で奨励される「強いもの」の定義に沿って、そういうものに憧れる子供をつくってはいないでしょうか?

神さまはどう望んでおられるのか。これからも子供の子育てに関して、神さまからの知恵をいっぱい仰ぐ必要を改めて感じたビクママです。考えてみると、私が一番でなくちゃ!と云う考えがどこか心の隅にあって、時にはとっても律法学者的な行動にでる母親にして、この子あり、って云うことですね。ひどく反省です。愛に生きる母親目指して、主にあって、がんばりますっ!


****今日の聖書の言葉******
 ですから、私は、キリストのために、
 弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。
 なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。
            (コリント人への手紙第1 12:10)
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2 件のコメント:

  1. こんにちは。ご訪問ありがとうございます、Webカノ誌のカノッチと申します。
    子育てって難しいと思ってしまうと難しい。簡単と思うと簡単な気がいたします。
    でも、親は子の鏡というのを忘れてはならないですね。親の言動、思想を継いでしまうんですね。
    私も肝に銘じたいと思います。
    もっとも私は度々、反面教師として子供達の教育の役に立っておりますが。(^o^)

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  2. カノッチさん、コメントありがとうございます。子育ては手を抜こうと思えばいくらでもできるけど、あとで後悔したくない、また神さまから預かった子供ですから、しっかりと自分の役割果たしたいです。押しつけはさけたいけど。
    本当に、子は親の鏡、何ですよね。(^~^)

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